電子作家への道のり

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日本ほど戦争の犠牲になった国はない、また戦後生き延び保身にはしった幹部も多い

日本ほど戦争の犠牲になった国はない、また戦後生き延び保身にはしった幹部も多い 広島、長崎の二度の原爆投下 東京や各地の焼夷弾投下、一晩で10万人が焼け死んだ インパール、各島々の犠牲者 大本営の馬鹿な参謀たちの指揮 庶民、なかでもおんな、子...
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6:00   自衛隊の朝は起床ラッパでおこされる

6:00   自衛隊の朝は起床ラッパでおこされる ラッパも音楽の旋律だろうが  音楽には聞こえない 「起きろ、起きろ。はよ 起きろ なにぐずずしてる」 と言っているようだ    営舎の各所で、ドタバタと喧騒な響きがまきおこる 私が入隊したの...
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自衛隊入隊を強く促された三島由紀夫割腹事件

自衛隊入隊を強く促された三島由紀夫割腹事件 人生には時として大事件に遭遇し、航路の舵をきらなければならないときがあり 私の大事件は小説家 三島由紀夫の割腹である これはショックだった 詳細はウイキペディアにも書かれているが、1970年(昭和...
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お互いの成長という目的があっての恋愛である

お互いの成長という目的があっての恋愛である 恋愛によって輝いてきたなあと思われるのが本当の姿である 目的がない恋愛はやがてかれていく 好き、すきと ただ熱病にうなされている姿であってはならない 男女の交わりの中で 成長していく姿を見せるのが...
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とうふは白色の乙女

とうふは白色の乙女 義父は70歳まで豆腐屋を営んでいた 荒川はきどらない人情の町だった
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日本最長の鈍行列車、各駅停車に滋賀県の米原から東京まで乗ってみた

日本最長の鈍行列車、各駅停車に滋賀県の米原から東京まで乗ってみた 昭和43年ごろの話である 高校一年生の時、決行した旅である 米原発午前11時 東京着午後7時 威勢よく乗り込んでくる行商のおばあさんの気風さ 笑いが飛び交う女子高生の集団 風...
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人は火葬されるとき、最後に残るのはどこか?

人は火葬されるとき、最後に残るのはどこか? 親戚に火葬場を経営していた、小学時代遊びに行っては 人が焼かれる現場を見た 枠組みされた木々の上に死体をおき、下から高熱を浴びせるのである 当然焼けた木々も崩れ落ちていく 最後に残るのは頭部である...
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昭和40年代「生命(いのち)美人」が多かったのが銀座である

昭和40年代「生命(いのち)美人」が多かったのが銀座である 銀座といえば夜の街、夜の蝶、ホステスさんと思い浮かべるだろうが そうではない 晴海どおりの書店の改造社、近藤書店、並木通りの風月堂、門洋菓子店 笑顔が素敵な、屹立した店員さんたちで...
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あなたの65年の歳月を資産化しませんか

あなたの65年の歳月を資産化しませんか 簡単に電子化できる時代に入った 一人ひとりの人生をアーカイブできる時代になった 知の資産こそ真の資産である さあ65歳になったら書きまくろう Do you not make time of your ...