山にこもり修行することはない

修験者として、山にこもり
滝に打たれて、悟りを開こうとするが
日常の生活の中で、真剣に物事を考えて
生きていれば
修行しているようなものである
それは、日々の生活のなかに、地獄もあれば、極楽もあるからである
しかし本当の遊楽はわが身を捨てなくては得られるものではない

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