私のふるさと 私の中学時代(2) 私の中学は高台にあった その途中の洞穴(ほらあな)に、女のこじきが今でいうホームレスがすんでいた いつも缶詰のかんにキャベツ等拾ってきた野菜をいれて、ぐつぐつ煮て食べていた 私もいただいたことがあるが、いまでいう温野菜であろうが たいへんお... 2008.06.28 私のふるさと
私のふるさと 私の母と父です 昔は生きるのが必死だったと思う こたつにはいるといつも,うつらうつらして眠っていた 毎日つかれていたのだろう 本当に感謝がつきない、父母であった 2008.05.25 私のふるさと
私のふるさと 今日田舎の姉よりお米いただく ありがたい、おいしいお米はなにより、働く力になる 農業は大変だ、やせた土地で格闘するときもある 田舎の姉は農業経験もなく、兄のもとに嫁いだ、つらい日々もあっただろう 今は4人の子供も独立させ、孫にもめぐまれた いつまでもお元気でと祈る 2008.03.27 私のふるさと
私のふるさと 故郷をあとにして 故郷をあとにして38年もう二倍近く東京で過ごしている-田舎での生活が蜜が濃かったのだろう。鮮明に覚えている景色がある-臨終の時一生を振り返った時故郷と父母、お世話になった人に感謝が尽きないだろう 2008.03.15 私のふるさと
私のふるさと 母の一生 1児の夫に嫁ぎ、農作業に休む暇なく、腰をかがめて働き続けた、一日たりとも休んだことはなかったと記憶する。その疲れからか、コタツにはいるとよく寝ていた 母は気丈な女性、もみがもったいないと手を伸ばし、コンバインにまきこまれ、ボルトをはずすまで... 2008.03.07 私のふるさと
私のふるさと 父の死で 父は69歳で交通事故でなくなった、私が23歳突然のことで、報を聞いたとき 呆然とした、2日間昏睡状態で最後の日、手を強く握ると、目から涙が 私が死んで会える日があれば、一緒に酒を酌み交わしたい 2008.03.07 私のふるさと
私のふるさと ふるさとをあとにして 18歳にて自衛隊入隊のため、高田の町から 日豊線の宇佐(USA)駅よりお袋に送られる お袋は泣いていた 急行 高千穂 に乗り横須賀の武山へ 二年間の自衛隊生活の出発 2008.03.05 私のふるさと
私のふるさと 大分県豊後高田市 大分県豊後高田市、私が18歳まで育った故郷 この故郷に感謝がつきない 父は石積みの仕事と農業を、小学校時代、豚、ヤギ、馬、牛、犬、猫、うさぎなんでも 飼っていた、学校からかえり、動物たちと遊ぶのが一番のたのしみだった 母は市内の草地(くさぢ... 2008.03.02 私のふるさと