昭和20年、30年代 親父たちは
馬、牛で田んぼを耕し
暗くなるまで雑穀機を回し
田んぼの畦には大豆、小豆をうえ
工夫して、収入を増やそうとしていた
愛媛から多くの人たちが泊まり込みで
田植えの応援にきていた
歌をうたって田植えするのである
最も田んぼが華やいで
喜んでいた
時期に違いない
親父の田んぼはお金がたまっては買いたして
いったのだろう
農家は条件がわるいところしか売らないので
あとで考えるみると機械もはいらない
いびつでへんなたんぼばかりであった
それでも
農業を何とかしようとする気概はあった
その希望を世代にわたって奪い取ったのは
国家の揺れ動く食料政策である、農業政策である
少子化、高齢化、直面する問題もあるが
工業と農業を組み合わせるなどして
新たな開拓の道を歩まなくてはならない
農業は生命産業であり、国家の礎になる
農を大事にしない国家は滅びるからである
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